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思考のヒント

差別やパワハラが無くならない訳とは?

日本は島国ですから、『人種差別』への意識よりパワハラのような『ハラスメント』への関心が高い国です。

何かに差をつけて分け隔てる行為」である差別に対して、ハラスメントは「人を困らせ、不快にさせる行為」を意味しています。

そして、日本人の多くは、このような行為をNOと考えており、社会的にも軽蔑を受ける対象となっています。

この記事が、自分が気付かないうちに差別やハラスメント的な行為をしていないか思い返す機会になれば幸いです。

 

日本のルールを再認識する

日本で生きていくのなら、日本のルールを守らなくてはいけませんよね。

ゲームやスポーツにも必ずルールがあり、それをプレーヤーが守らなければ成り立ちません。

 

その日本ルールの中で、最も大事なルールブックに当たるのが憲法です。

憲法では、平等権として以下のように規定しています。

第十四条

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない

華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 

貴方の考え方(思想)や、社会的地位等によって、法律(人権)の適用が変わることはありませんよ、と言っているわけです。

日本で生きる以上は、この考え方は、ビジネスやプライベートの対人関係においても意識した方が良いと思います。

 

これを意識しないと、どんなことになるのか具体的な例で見ていきましょう。

 

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注意と人格否定の違い

平等権を意識している人と、そうでない人の発言には、結構な違いが出てきます。

私自身、差別意識について疎い方だったと、反省させられる経験をしたことがあります。

仕事上で、注意のつもりで投げかけた言葉が「人格否定」と言われてしまったのです。

 

上司と部下の関係では、パワハラや差別が発生しやすい環境下ですよね。

受け取る側の気持ちを客観的に考えるだけではなく、「権利(平等権)を意識する」ことで失敗を回避できると感じます。

 

分かり易い例として、上司が部下を叱責する場面を例にして考えてみましょう。

例えば、上司が「お前のその考え方がダメなんだよ」とか、「もっと真面目に考えろよ」等と注意のつもりで言ったとしましょう。

 

一般的な感覚で考えると、この程度の注意・指導は、パワハラとまでは感じない人も多いのではないでしょうか。

しかし、平等の観点で考えると、このような指導は、差別的だと言われる可能性があります。

 

本人としては真面目に考えているのでしょうから、「人格否定」と解釈されてもおかしくないという事です。

私は、これに近い失敗をしたために、相手に真意が伝わらなかったのです。

 

相手を向上させるための注意で、全く差別しているつもりがなくても、パワハラになる可能性がありますので、注意が必要ですね。

もう少し差別的な表現に配慮し、適切な伝え方が必要な時代だと感じます。

 

一歩間違えると、相手の生き方や性格、考え方や信条等、その人の存在自体を否定していることになり兼ねませんから、適切な伝え方を意識するのが理想です。

 

先程の例なら、「自分と仕事をするなら、もっと深く考えるようにして欲しい」と依頼するような注意方法が良いのではないでしょうか。

これなら、考えない人を差別した発言になりません。

 

君の考え方は尊重するけど、自分に合わせて欲しい」というスタンスを意識すると、だいぶ言い方が変化しますよね。

私は、これに気付いた時、今までの自分の発言に多くのリスクがあったと感じました。

 

 

相手を尊重する意識

相手の考え方や行動等がどんなに自分とかけ離れていても、それを否定する権利はありません。

これは、人のファッションについて批評するのに似ている行為だと思います。

個性は法律の下に平等ですよね。

 

正しいか、正しくないかは、各個人と法律が決める事であって、第三者が否定する必要のない部分です。

そう考えると、自分の意見として言っている事を強調する等、尊重を知ることが差別を意識することに繋がるのです。

 

日本と世界の差別格差

日本人には、相手の気持ちを「察する」という文化があります。

つまり、ある意味で差別的発言をされた場合でも、「きっと、そんなつもりで言ったのではないのだろう」と推察する等、相手をおもんばかる文化があると思うのです。

 

一方で、アメリカやヨーロッパでは、発信者がどんなつもりで言ったかはそれほど考慮されない傾向があるように見えます。

言われたことに対してストレートに反応し、すぐに反撃してくる印象です。

 

受け取る側に非は無く、「相手にどう聞こえるか」を重視べきとするのが、グローバルな感覚なのかもしれません。

グローバルな感覚が必ずしも正しいとは限りませんが、両者の認識に相違点があることは理解しておくべきです。

 

例えば、日本人は、海外から来た人達に対して、「外人」とか「外人さん」という表現を使ってきました。

悪気も悪意も無く、「外国から来た人」という意味で使っていましたよね?

 

しかし、最近ではこれが差別用語と認識されており、「外国人」と言わなければ失礼に当たります。

理解に苦しむ人もいるかもしれませんが、ここには大きな違いがあるのです。

 

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日本人による外国人差別

海外では、黒人差別や男女差別等について、様々なトラブルや事件が起きてきた歴史があります。

日本は、このような経験が少ないので、差別に対して感覚的に遅れていますよね。

良い意味で、あまり差別を意識していません。

 

外国人の感覚で日本人の「外人」という発言を聞いた時、彼等には「外来種」とか「アメ公」等と言われているかのような、皮肉や嫌悪感を込めた表現に聞こえるのです。

かつての黒人達が呼ばれた、差別用語に似た連想をしてしまうのかもしれません。

 

一方、日本人は、アメリカ人に「ジャップ」とか「イエローモンキー」等と呼ばれても、それほど怒りを覚える人はいませんよね。

「何を怒ってるんだろう」とか「何がそんなに気に食わないのだろう」という不思議感の方が大きいのではないでしょうか。

 

イエローモンキーについては、バンド名に起用しているアーティストがいるくらいですから、あだ名を付けられた位の感覚でしかなさそうです。

アメリカではそんな表現をされてたんだね」等と冷静に受け取っていて、それほど負の感情は無いと思います。

 

意外な事に、来日している外国人の多くは、「日本人から差別されたことがある」と感じているそうです。

ところが、日本人の殆どは、外国人を差別したことはないと認識しています。

 

これが、差別意識と歴史の格差なわけですが、日本国内においても、世代間でこのような文化のギャップが生まれつつあるのではないでしょうか。

 

まとめ

先程の例のように、差別やパワハラは、何気なく無意識に発生している事が多いでしょう。

だから、いつまでも無くならないのだと思います。

差別やパワハラをしている当事者は、相手のためを思っている場合もありますし、差別であることにさえ気づいていない事も少なくないのです。

この事に気付かない限り、なかなか正しく意識されないのではないでしょうか。

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