「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がありますが、ビジネスや営業活動において歴史から学べる事は本当にたくさんあります。
勿論、経験から学べることもありますが、もっと大きな大局観で物事を捉え、本質的な失敗をせず、正しい成功を収める賢者でありたいものですよね。
成功の大きさは人それぞれですが、その成功が一時で終わるのか、長く続くのかという違いがこの言葉の真意だと思います。
戦国時代、大きく勢力を拡大した大名には、必ず優秀な軍師がいました。
彼等(軍師)の生き方(歴史)からも、多くのビジネスヒントを得ることができます。
軍師の存在意義
戦国時代に活躍した武将には、名軍師の存在がつきものです。
武田信玄や上杉謙信のように、大名自体が軍師的な才覚を持つケースでさえも、軍師と呼ばれる人材を抱えていました。
典型的な例としては、やはり豊臣秀吉の例です。
農民から天下人にまで昇り詰めるには、一人だけの力では不可能ですよね。
その事を誰よりも理解していた秀吉は、「人たらし」と呼ばれる程、人の心を掴むのに長けており、見事に名軍師達を手に入れていきました。
秀吉は、あの信長が名指しで欲しがった竹中半兵衛や、そのポジションを引き継いだ黒田官兵衛の両兵衛を抱えることに成功しています。
軍師達は、主君の構想を形にし、主君の力を最大に発揮させる能力を持っています。
これは、最も能力が優れているのが軍師という意味ではありません。
主君の夢を実現させるサポート力こそが、彼等の存在意義だという事です。
頭が良いだけでは成功できませんし、覚悟や信念が無い人には部下もついて来ません。
軍師達には、主君の苦手(能力不足)を補う意味もあったと感じます。
誰が一番凄いのか等という話ではなく、それぞれの役割と、相乗効果の視点で歴史を捉えることが重要です。
そのような視点で歴史を紐解くことで、ビジネスに通じるヒントが得られると感じます。
軍師はトップにはなれない
豊臣秀吉を天下人にしたとまで言われた名軍師でも、自身が天下人にはなっていません。
それどころか、軍師達の人生を俯瞰すると、最終的に大きな権力を持つ地位に就いていないケースが多いのです。
優れた軍師である程、大名達は彼等に力を持たせることを怖がりますので、あまり多くの領地(石高)を与えるわけにはいかなかった事情もありました。
黒田官兵衛の場合、秀吉が官兵衛の実力を警戒し始めたことを察知し、自ら身を引いて隠居を宣言しています。
秀吉に対し、「自分が天下を狙うことはない」という意思表示をし、隠居することによって身の安全を確保したわけです。
その後、小田原城開城の交渉人に抜擢される等、最後まで秀吉からの信頼が厚かった様子が読み取れます。
このように、軍師タイプの人は、常にリスクを考える傾向があり、野心を優先した行動はとりません。
軍師タイプの人は、誰かの保護下においてこそ活躍し、その本領を発揮するわけです。
悪く言えば、自分が矢面に立って社長をやる器量は無く、成功するための知恵やノウハウだけを持つ人達なのです。
黒田官兵衛に関しては、そのどちらの才能も持っていたのかもしれませんが、天下を狙うほどの野心家なら秀吉の地位を狙って居座り続けたのではないでしょうか。
相乗効果のスゴさ
優れた軍師ならば、自分のためにその力を使えば良いと思う人もいるかもしれませんが、そう単純にはいかないものです。
ビジネスに置き換えて考えてみても、良いアイデアや企画を立案できる人が経営者になれるわけではありません。
トップに立つタイプの人達は、信念や決断力が無ければならず、人を魅了する力も不可欠でしょう。
一方で、軍師タイプの人には、計画力やリスク回避能力がありますが、あまり社交的ではない傾向があります。
また、軍師タイプの人は、知識やアイデア(策)は豊富にあるものの、カリスマ性に欠け、人徳の面で秀吉タイプに遠く及ばないのです。
石田三成が良い例だと思いますが、現代で言うと銀行員タイプといった印象の人物ですよね。
このように、トップに立つ人と、それを支える側の人達の持ち味は、全く異なるものです。
歴史は、その両者が組むことによって大きな相乗効果が起こることを示していると思います。
秀吉と官兵衛が組んだからこそ、天下をとれたわけで、そのどちらがいなくても同じ結果にはならなかったでしょう。
現代ビジネスにおいても、自分が信頼できるパートナーと組むことは成功の鍵となります。
それも、相乗効果を最大限に発生させてくれる相手です。
どんな巨大企業にも会社を支えた立役者がいて、決して経営者だけの力で成功したわけではありません。
ですから、1+1の答えが無限になる相手が見つかったら、ビジネスが成功する確率が大幅に高まるという事です。
将来、独立を考えている人は、そんな相手を見つけることが大切だと歴史が物語っているわけです。
主君のミスをカバーする
どんなに優秀なリーダーでも、人間ですから時に過ちを犯します。
判断を見誤ることもあるでしょうし、人の登用で失敗することもあって当然です。
竹中半兵衛や黒田官兵衛は、主君のミスを完璧にカバーするタイプの名軍師でした。
それどころか、主君にチャンスを気付かせ、大きな手柄をもたらしています。
結果から見れば、秀吉は官兵衛を信じきれず、息子を託す相手を間違えた感があります。
当時、秀吉の周囲には、若く優秀な人材が集まっており、中でも石田三成の能力を評価していたようです。
おそらく、三成は優秀でありながら戦経験が無い為、お家乗っ取りのリスクが低い部下だったのだと思います。
官兵衛のような、海千山千の男に託すのは、少々リスクを感じたのかもしれません。
官兵衛の秀吉に対する気持ちが本物だったなら、最も重要な世継ぎの委託先として信頼されなかったことはさぞかし悲しい事だったと思います。
官兵衛は、隠居する際に黒田如水とその名を変えていますが、このような時代の流れを水に例え、水の如く生きていくというメッセージを感じます。
どこか、秀吉へのメッセージのようにも見える改名ですよね。
ご存知の通り、石田三成は関ケ原の戦いで総大将となり、豊臣家のために最後まで尽くします。
しかし、徳川家康がこの戦いに勝利し、実戦経験の差が勝負を分けた形となりました。
名軍師の本多正信から戦略のなんたるかを教わっている徳川家康に対し、石田三成には戦の経験が殆どありませんでした。
現代で当てはめれば、営業も経営も充分経験している家康に、総務や経理の経験しかない三成が戦いを挑んだといった格好です。
「秀吉が官兵衛を信頼し、隠居を許さなければ歴史は変わっていた」と言う専門家もいます。
歴史にタラレバを言ってもしかたのないことですが、歴史から学ぶという観点からすれば、託す相手の選び方の参考になる事例です。
竹中半兵衛という男
私が最も尊敬する軍師は、竹中半兵衛(竹中重治)です。
半兵衛は、奇抜な知恵を使い、たった十数名で主君の城を奪取したことで有名になりました。
半兵衛の容姿は、一見して弱そうで、青白い顔をしていたようです。
城の家臣達にからかわれ、城壁の上から小便をかけられた事が城取り事件の発端と聞いた記憶があります。
見かけによらず、怒らせると怖いタイプだったわけですね。(笑)
この事件を機に、「美濃に凄い奴がいる」と噂になり、信長の耳に届くことになります。
しかし、この城取りは、素行の悪い主君や家臣達を懲らしめるためであって、己の野望によるものではありませんでした。
その証拠に、半兵衛は短期間で城を返却し、山中でひっそりと暮らす道を選んでいます。
現代に当てはめると、上司のやり方が気に食わないので、ものすごい実力を見せつけた上で自ら退職し、田舎暮らしを始めた人・・といった感じでしょうか。
わざわざ会社に歯向かうような事をせず、大人しくサラリーマンをしていれば出世していたのに・・・等と言われるようなタイプかもしれません。
しかし、半兵衛は、誰かに媚びて生きる道を選びませんでした。
半兵衛は、普段は物静かで大人しく、俗世間や出世にはあまり興味が無かったようですが、自分の実力は知っていたのでしょう。
そして、命を捨てる覚悟で何かに取り組む度胸もある人物であったことが窺えます。
僅か16~17人で城を落とせる確証はなかったでしょうし、死ぬ覚悟で挑まなければできない所業です。
決死の計画に付き合ってくれる親戚や家来がいたことも、彼の人間的な魅力を物語っています。
その後、浪人となって隠居同然の半兵衛でしたが、世間は彼の才能を放ってはおきませんでした。
半兵衛は、戦術には興味があるものの、戦自体には興味がなく、誰の下にも仕えないと決めていたようです。
そんな時、織田信長の命を受けた秀吉が半兵衛のもとへとやって来ます。
何度も断ったようですが、秀吉の度重なるオファーに根負けし、信長ではなく秀吉の家臣であることを条件に力を貸すことを決めました。(三顧の礼)
きっと、秀吉の人柄に、よほど魅かれるものがあったのだと思います。
半兵衛のような人物の心を動かしてしまう秀吉の人間力も、さすがと言わざるを得ません。
秀吉の魅力もスゴイのですが、半兵衛の雇用条件がまた渋いです。
あの時代、信長に逆らえる男は滅多にいなかったでしょう。
信長のオファーを断ることは、下手をすれば命を落とすことに繋がります。
そんな時代に、「信長の家来になるのではない」と言い切ったわけです。
それほど人に仕えることを拒んだ男を口説き落としたのですから、秀吉ならではの手柄と言って良いでしょう。
もしかすると、秀吉の価値を高めてあげるための知恵(軍師の戦略)だったのかもしれません。
どちらにしても、ビジネスを成功させる人には、このようなキーマンの心を動かす力があるという事です。
半兵衛の歴史を辿ると、欲が無いわりに、実力と覚悟のある人物であることが読み取れます。
黒田官兵衛には野心を感じる部分もありますが、竹中半兵衛の場合は、単純に秀吉に力を貸したかっただけのように思います。
半兵衛は病弱だったようで、残念ながら長生きはしませんでしたが、しっかりとその名を歴史に刻んでいます。
きっと、秀吉との出会いが、半兵衛に今までとは違う人生の面白さを見出させたのでしょうね。
軍師のリスク回避能力に学ぶ
軍師タイプの人達は、常にリスクに対する備えを持っています。
戦場では、いつどこから奇襲をされるかわかりませんから、軍を移動させるにもあらゆるリスクを考慮しなければなりません。
主君の目が行き届かない細かい部分にまで配慮し、しっかり総大将をサポートしているわけです。
「備える」ということは、「準備をしっかりとする」という事でもあります。
軍師は、あらゆるリスクを想定することで、いざという時に損害を最小限にすることができます。
これが、主君に天下をとらせることに繋がっていくわけですから、とても重要な考え方ですよね。
営業マンの仕事においても、リスクを考える思考力は大切です。
営業マンにとっては、顧客とのトラブルが最大のリスクですから、これを回避するための思考と準備をすることが「軍師達の歴史から学ぶ」という事になると思います。
まとめ
世界で起こる様々なニュースを見ていると、「起きなそうな事が結構起こる」と感じます。
戦国時代の軍師達は、このような普通の人が考え及ばないリスクに目を向けるタイプの人達だったのではないでしょうか。
軍師の生き方(歴史)には、「人の見ないリスクを見よ」という教えがあるように思います。
だからこそ、いつの時代も珍重され、失敗できない任務には欠かせない存在になるのでしょう。
それに知恵がプラスされた人達を、名軍師とか軍神と呼んだのではいかと思います。
秀吉は、自分の実力もありながら、そんな軍師二人(両兵衛)を抱えたのですから、天下をとるのも納得ですね。