一体、何のために働いているのか・・・等と考えてしまう状態は、鬱の症状であることも多いそうです。
このような思考が長期間続くと、自分自身が存在する意味が分からなくなってしまうこともあるでしょう。
試験に落ちたとか、失恋したとか、ネガティブな出来事によってもネガティブな感情が誘発されることがあります。
上島竜平さんや神田沙也加さん等の悲報を見ると、明るそうに見える人でも心の中は分からないものだと痛感させられます。
日常的にストレスの多い仕事や、受験生のような追い詰められた状況にある人達は、リフレッシュを意識しないと命が危ないと考えるくらいで良いのです。
そして、人生を見失った時には、何らかの『答え』を得る事も大切だと思います。
このような感情や心理に関する悩みは、今のところはAIには解決できない問題でもあります。
この記事に、そんなヒントがあれば幸いです。
思考適正を見つめ直す
勉強は良く出来るのに、ビジネスでは全く成功できない人っていますよね。
彼等は、頭は良いけれど社交性が著しく低いとか、暗記は得意だけど発想力が無い・・といった偏った能力を持っています。
実際、合格率が数パーセントの難関試験に合格できる頭があるのに、今でもアルバイトをして生活している人がいたりするのです。
一方で、ビジネスでは大成功しているものの、勉強や資格は全くダメといった人もよくいます。
ここから判るのは、「ビジネスで使う頭と、勉強で使う頭は違う」という事です。
そして、自分の持つ能力を磨き、それを活かす生き方をする人は、特定の分野において成功しているように思います。
どちらが良いという事ではなく、能力(個性)の「活かし方」・「伸ばし方」のように思うのです。
ご自身の思考適性が「アイデア型」と「暗記型」のどちらなのか、認識してみましょう。
バランス良く、両方の能力を持てれば良いのですが、そうもいかないものだと思います。
自分の本質を理解すると、誰かと組んでビジネスを行う必要性や、向かうべき方向性や進路が見えてきます。
自分だけで悩むのではなく、不得意な分野をどう補うかという発想を持つことが大切です。
バランスがとれる場所を探すこと
転びそうになった時、体のバランスをとらなければ倒れてしまいますよね?
人生においても本質は同じだと思います。
要するに、バランスをとる能力によって、人生の生き方(転びやすさ)が変わるのです。
転ぶ時というのは、大きく偏った考え方や行動が出てしまっている状況です。
ですから、「転びやすい人」とは、偏った特性を持っている人ということなのです。
どんなに才能がある人でも、必ずバランスを崩す時があります。
自分自身でコントロールすることもあれば、一緒にいる仲間が助けてくれていることもあるでしょう。
どちらにしても、その状態を失うと一瞬にして転倒するわけです。
無意識にとっているバランス
私達は、自分の才能に関わらず、常にバランスをとっています。
例えば、「頭は悪いけれど、人柄がとてつもなく良い人」の場合なら、知能レベルと人柄の良さでバランスをとって生きています。
このような能力バランスは、どちらかだけになった途端に状況が一変します。
体力がある、人脈がある、容姿が優れている等、各自がどこかで足りない部分とのバランスをとっているということです。
この話のポイントは、「なりたいもの」を探すのではなく、「なるもの」を探すという意識です。
無いものを欲しがるのではなく、自分にあるものを見つめ直すことから始めると、本質的な答えが見つかりやすいものです。
もっと言えば、貴方にとって「バランスをとりやすい場所」を探す感覚です。
バランスのとりやすい場所では、他の人よりも上手くいくことが増えるので、居心地が良いはずです。
極端な例かもしれませんが、皆が暗くなっている時に雰囲気を変えることができるバランス力がある人は、お笑い芸人になれるかもしれませんよね?
自分の居場所というのは、そうゆう事なのではないかと思います。
貴方だからこそとれるバランスがあるはずで、きっとそれはとても無意識的にできている(当たり前な事)だったりします。
だからこそ気付きにくいのだと思いますが、立派な個性です。
あとは、その個性をどう活かすかを考え、居心地の良い場所を探す(又はつくる)ことだと思います。
夢が叶わない理由
夢というものは、出来ると信じた時がスタートラインで、出来ないと思った時に終わるものです。
ですから、自分の夢が叶わない理由は、自分を信じきれずに途中で諦めるからです。
常々思うのは、才能がなければできない事なんて、本当に稀だという事です。
逆説的に言えば、大抵の事は、努力が足りないからできないだけだと思います。
殆どの場合、多少の不得手やハンデがあっても、努力と継続で克服することが可能です。
その年月に数十年かかることもあるでしょうが、継続の力で結果を出している人は本当にたくさんいます。
生きる意味を見失う人達
失恋、失敗、挫折等によって「何のために生まれてきたのか」等と思い悩む人達がいます。
それ以前に、なりたい自分の将来像や夢自体が見つからない・・・という人も増えているようです。
人生は、100%、自分で決める(決めた)ものです。
そのつもりがなくても、あなたが選んだ選択(決断)によって人生が決まっています。
会社や学校では、誰かの指示に従わなくてはなりません。
その代わり、何か起きた時の責任は会社側や学校側がとります。
しかし、人生の場合、貴方が全ての責任を負っています。
自分だけで決められるもので、自分にしか決断できない事しかないのです。
誰かにレールを敷かれたとしても、その人の言いなりになるかどうかの決断をしているということです。
現実社会では、貴方の頭の中で起こる人生の決断に、誰かが口を挟む事すらできないという事実があります。
ですから、人生で起こった事は、誰かのせいにすることはできないという事です。
これがどれだけ重要で尊いことか、理解していない人が多いのではないかと感じます。
あなたは人生のCEOである
私達は日々、それだけ責任の重い決断をたくさんしていて、その責任は誰もとってくれません。
貴方の人生の最高責任者(CEO)は、貴方自身でしかないのです。
これを理解すると、自分の本心に嘘をついてはいけないと強く思うようになり、それが信念に変わります。
あなたがやりたい事が、「何もしない時間を楽しむ事」だとしたら、人生の中でそんな時間をいかに長く持てるかを追求して生きればいいのです。
あなたの人生ですから、どんなことでも自由に選べます。
人が何と言おうと、自分の命の使い方をとやかく言われる筋合いはないのです。
大事なのは、何のために生きるのかを探すのではなく、何のために生きるのかを自分で決める事ではないでしょうか。
その決断が貴方だけの人生を創るのです。
夢とか、そんな大きなことでなくてもいいと思います。
自分が「どんな状態でいたいか」でもいいので、それを決めてみる事です。
他人から見て、それがどんなにくだらない事だとしても、あなたが望めばそれで良いのです。
因みに、私は、自分の生まれてきた意味は「幸せの追求」だと思っています。
私の場合、妻を幸せにするために生まれてきたと考えるのが最も自然で、一緒にいる事だったり、平凡な日常がとても幸せです。
ですから、そのための時間をとるために働き、出来る限りの時間を家族に使っています。
それが私の成功であり、夢であり、人生だからです。
幸せの本質
たとえ貧乏でも、家族といることが一番の幸せだと感じる人もいるでしょう。
その一方で、仕事や芸事に人生の全てを捧げる人もいます。
勿論、どのような人生を選んでも貴方の自由で、誰にもその生き方を否定する権利はありません。
それぞれが、自分の人生での時間の使い方を決めているだけのことです。
そして、それぞれがそのためのバランスをとって生きているだけの事でしょう。
そこに優劣など存在せず、単純に各自の選択の違いでしかありません。
極論を言えば、本当に人生を捧げる程に好きな事があるのなら、たとえ体に害があっても構わないと考えるはずです。
例えば、チョコレートが死ぬほど好きで、本当に毎日食べていたとします。
いつか体に支障が出るでしょうが、死ぬほど好きなのですから、本人的にはそれで死んでも本望でしょう。
これも人生の使い方の一つで、第三者の意見がどんなに常識的で正しかったとしても関係ありません。
自分の幸せの在り方によっては、「体に悪い」等という小さな常識を超えることになります。
「死んでもいいから」と思う程に好きな事がある人生は、ある意味で幸福でもありますよね。
ですから、全身にタトゥーを入れる人や、髪の毛を伸ばし続ける人等は、奇抜ではありますが、一般的な人達よりも自分の人生を大切にしているとも言える面があると思うのです。
他人の生き方を尊重し、自分の責任で夢を追い続けることが幸せの本質なのではないでしょうか。
その形が人それぞれなので答えが無いように思えるだけなのだと思います。
まとめ
人生の意味を考えてしまう状況にある人は、思い切って自分がどう生きるかを決めると良いと思います。
その生き方に対して、他人が悪く言うかもしれません。
でも、彼等の助言を聞いたからと言って、責任をとってくれるわけでもありませんし、貴方が幸せになる事もないでしょう。
そのことに気付いたら、少し人生の見方が変わってくる気がしませんか?
それを決めるだけで、精神的に楽になる人もいると思いますし、覚悟が芽生えることもあるはずです。
それが、本当の意味で自分と向き合うという事ではないでしょうか。