先日、山梨県立美術館に行ってきました。
とても素晴らしい美術館で、絵画に疎い私でも2時間近く鑑賞してしまう程でした。
2018年9月には、新たに9千万円を投じて「角笛を吹く牛飼い」というミレー作品がコレクションに加わっています。
この記事では、個人的に「行く前に知っておけば、数倍楽しめる」と感じた情報をご紹介しておきたいと思います。
山梨県立美術館の魅力
まず、山梨県立美術館までのアクセスですが、中央道の甲府昭和ICから車で約10分の場所にあります。
美術館には、甲府駅からバスで行くこともできます。
美術館の目の前には、「山梨県立美術館」というバス亭がありますので、バスで行かれる際にはこちらで降りてください。
この美術館の魅力は、なんといってもコレクション展にあります。
コレクション展の中には、ミレー館の他、フランスの有名画家の作品がたくさん展示されています。
それでいて、料金がたったの510円という格安設定で、「入場料、これだけ?」と驚いてしまいました。
但し、特別展は別料金で、時期によって内容が変わるようです。
コレクション展は常設されていて、これだけを観賞する分には、一人510円です。
コレクション展の楽しみ方
私は、特別展には入場せず、コレクション展だけを鑑賞してきましたが、充分に満足することができました。
駐車場は無料なので、本当に510円しかかかっていません。
施設の職員さん達の対応もとても親切で、かなり癒される美術館です。
絵画に興味が無い人にとっては、「その作家がどんな人生を歩んだのか」とか、「どこに住んでいたか」等には興味が無いと思います。
でも、最低限知っておくと、より楽しめる物語があり、絵を観賞する際の感じ方にも影響してくると思うのです。
この記事では、そんな部分を交えながらミレー作品の楽しみ方を独自目線でお伝えしたいと思います。
ジャン=フランソワ・ミレー館
想像以上の作品数で、デッサン画もいくつか展示されていました。
漫画家志望の人等にとっては、鳥肌が立つレベルの教材だと思います。
人によっては、油絵よりも鑑賞価値があると感じる作品集かもしれません。
それでは、ミレーの絵を鑑賞する上で知っておきたい事を交えながら、楽しみ方についてご紹介していきますね。
ポーリーヌ・ヴィルジニ・オノの肖像
ミレー館に入ると、最初に展示されているのがこの「ポリーヌ・V・オノの肖像」です。
ポリーヌは、ミレーの最初の妻ですが、結婚して僅か3年で亡くなってしまいます。
享年22歳だったそうです。
ミレーは、その後も肖像画家として女性画を多く描いていますが、彼女の死と関係があるのかもしれません。
この絵には、愛する人への特別な感情が入っているせいか、不思議な迫力があります。
とても丁寧に描かれていますので、ミレーの愛情を感じとってみてください。
絵描きの人達は、ラブレターを書かずに、女性にこのような絵を捧げたのかもしれませんね。
眠れるお針子
針仕事をしている最中、うっかり眠ってしまった女性を描いています。
2番目の妻であるカトリーヌを描いたものだと言われているようです。
この絵を見ていて感じるのは、やはりミレーの女性(妻)に対する愛情です。
最初の妻を早く亡くした経験を持つミレーは、彼女に対しての思いも強かったのではないでしょうか。
普通、女性の立場からすれば、このような場面を描いて欲しいとは思わないでしょう。
しかし、ミレーは、あえてこのような『ふと気が抜けた瞬間』を切り取りました。
普段とは違う、それでいて日常の妻の姿を描くことを選んだ点にも注目すると、彼が日常の幸せに目を向けている人物であることが想像できますよね。
この絵に愛情を感じるのは、妻を愛しく感じた日常の瞬間を描いているからだと思います。
垂れ下がったスカートの裾や、洋服の袖さえも、ミレーの目には愛おしく映っているように見える絵です。
種をまく人
題名の通り、農夫が畑に種を撒いている絵です。
トーンが暗いので、構図として面白くないと感じる人もいるかもしれません。
私の勝手な推察ですが、ミレーは、種まきそのものではなく、「動作の瞬間」を表現したかったのではないかと思います。
難しい題材のせいか、ミレーが画家人生の中で何度か挑戦している構図でもあります。
朝から畑で働いて、農夫もかなり疲れている時間帯でしょう。
急がなければ日が暮れてしまいそうな空模様で描かれています。
慣れた手つきで、足早に畑に種を撒く男。
その時の「腕」の動きにクローズアップし、その躍動の瞬間を切り取ろうとしたのではないでしょうか。
そうやって眺めていると、種を撒く作業の音が聞こえてくるような気がしてくる迫力を感じる絵です。
落ち穂拾い、夏
農作業をする女性たちが落ちている稲穂を拾っている絵です。
フランスでは、畑を所有していない貧しい人達の為に、あえて穂を落としておく風習があったそうです。
それを見たミレーは、感銘を受けてこの絵を題材にしたという逸話が残っています。
そんなエピソードからも、とても優しい感性をもっていた画家だったことが分かります。
専門家の間では、「貧しい農民の姿を描いた」と評されているようですが、私にはそんな単純な絵には見えませんでした。
ミレーは、風習そのものとか、助け合いの精神の美しさを伝えたかったはずだと思うのです。
農夫の服装はどこか小奇麗ですし、顔を鮮明に描こうともしていません。
貧しさを描くのならば、服や顔の汚れ等をもっと際立たせるのではないでしょうか。
見ていただければ分かる通り、ミレーは、農民達を小汚い姿で描いていません。
そんな視点で鑑賞して、あなたなりの結論を出してみると面白い絵だと思います。
鶏に餌をやる女
女性がニワトリに餌をあげている絵です。
美術館の説明書きには、「農夫の日常を描いている」と記してありましたが、少し違和感がありました。
ニワトリ小屋ではない場所で、しかも餌のあげ方が不自然なのです。
もしかすると、フランスでは、裏庭で放し飼いにする風習があるのかもしれませんが・・。
でも、それにしても、餌はもう少しばら撒くように与える気がします。
それか、もっと地面に近い位置で撒くのではないかと思うのです。
私は、これも「瞬間を描きたい」というシリーズなのではないかと思っています。
この絵では、餌が真っ直ぐに落下していく様子が描かれています。
つまり、「落下のスピード感」が主役の絵なのではないでしょうか。
事実、女性よりも餌の方に目が行ってしまう絵なのです。
動画のような絵を描こうとした、挑戦的なテーマだった気がしてなりません。
動画の無い時代を想像すると、絵の中で何かが動いているように見える事は人々を感嘆させる大きな要素だったと思います。
夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い
夕日が沈もうとする広大な草原で、マント姿の男性が羊を連れている絵です。
羊の描写と、遠近感を出す構図に高い評価がされているようです。
この絵は、額に入れた状態で、しかも実物の色調でなければ感じ取れない魅力があります。
ミレーは、この題材を10年程描いていたようです。
そして、長く研究しているうちに、色々なアイデアを思い付いたのだと思います。
美術館に行ったら、この絵を少し離れた場所から鑑賞してみてください。
この絵は、額の中に納まっていないスケールで描かれていることが分かると思います。
額の外まで、延々と草原が広がって感じられる不思議な構図です。
ミレーが10年かけた意味がここにあるのではないでしょうか。
ミレーの作風について
私は、画家の人生にそれほど興味があるわけではありません。
ですが、一つの部屋にその人の絵(画家人生)を並べられてみると、画家の心境の変化を感じる部分があります。
ミレーという画家は、誰も描かなかった瞬間等、新しい発想を追い求めてチャレンジしていたように感じます。
また、人に描かされた絵と、自分で描きたいと思った絵の違いを感じる人です。
ミレーは、バルビゾン(地名)へ移住し、ルソーの他、有名画家達と切磋琢磨しましたが、売れるまではとても貧しかったようです。
その暮らしを心配したテオドール・ルソーは、知人に君の絵を欲しがっている人がいると言い、自分の身銭でミレーの絵を購入して助けていたそうです。
ミレーは、後に彼の家で自分の絵が飾られているのを知り、その友情に感謝したという美談が残っています。
ミレーとルソーとドービニーの3人は、バルビゾン派と呼ばれる人達の中でも特に親交が深かったようです。
美術館には、ルソーの絵が2枚、ドービニーの絵が1枚展示されています。
それぞれの作風に注目して鑑賞すると、三人が良い意味で刺激し合っていた事を感じます。
ドービニーの絵は、以前に盛岡でも観たことがあるのですが、とても強く印象に残っています。
ルソーは何人もいる!?
ルソーと聞くと、「なんとなく聞いたことがある」と思う人も多いと思います。
でも、あなたが想像しているルソーと、今回ご紹介したルソーは違う人物かもしれません。
一般的にルソーという名で有名なのは、社会契約論を書いたジャン=ジャック・ルソーです。
こちらのルソーは、フランスの思想家ですのでご注意を。
また、画家のルソーとしては、アンリ・ルソーという人もいます。
アンリ・ルソーは、税関職員時代から趣味で描いていた画家です。
退職後に有名画家になった珍しい人です。
作風も全く違うので、混同しないように注意しましょう。
テオドール・ルソーの作風
山梨県立美術館にある、テオドール・ルソーの風景画は、とても素晴らしい作品でした。
ルソーの絵を見ていると、彼が自然を愛した人だった事が伝わってきます。
「優しい自然美を特別な事だと感じている人が描いている」
そんな感じです。
一枚は、夕日の中に立つ一本の木を描いていて、夕日で世界の色が変わっていく瞬間を感じます。
ミレーは、「動きの瞬間」を表現しようとし、ルソーは「時間の経過」を自然美の中で表現しようとしていたのではないかと思います。
もう一枚の絵は、曇った空に明るい日射しが差し込んで来ている風景画です。
次の瞬間に、太陽光が広がって周囲を照らし始めそうな絵です。
次の瞬間の映像を想像させる域の絵を描ける人も希少でしょうが、その発想と視点に感服します。
ルソーの絵の中には、間違いなく「その瞬間の時間」が流れています。
まとめ
バルビゾン派と呼ばれる画家達は、それぞれが何か独自の題材を持ち、誰も描き切れた人がいないようなテーマを模索し合っていた様子が感じられます。
もしかしたら、私の勘違いなのかもしれませんが、それほど絵に詳しくない私でもそんな事を感じさせてくれる力を持つ画家達であることは確かです。
専門家の批評等は気にせず、あなたの目と感性で楽しんでみてはいかがでしょうか。
崇高な芸術の世界に触れ、一味違うリフレッシュを体験してみてください。
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