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怒りと悲しみの存在意義と感情の進化

人間の喜怒哀楽の中で、怒りや哀(悲)しみの原因には謎が多いです。

何故、このような感情が必要だったのか、ちょっと深く考えてみましょう。

感情の起源や存在意義は、いくら考えても明確な答えはありませんが、考えて気付けることはたくさんあります。

また、自分なりに腑に落ちる答えをみつけることで、日々の感情に向き合う心持ちも変わるものではないでしょうか。

 

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喜怒哀楽はカテゴリー

『喜怒哀楽』は、その文字から読み取れる通り、4つの感情を表現していますよね。

でも、よく考えてみると、「恥ずかしい」とか「悔しい」とか、人間には他にも色々な感情があります。

 

おそらくですが、このような細かい感情を突き詰めていくと、本質的に喜怒哀楽に行きつくという事だと思います。

例えば、「恥ずかしさ」は哀しみの一種、「悔しさ」は怒りの一種といった具合です。

 

つまり、人間の感情分類として、最も大きなカテゴリー分けをすると、4つになると考えれば良いのだと思います。

「無の境地」は別として、感情カテゴリー分類は、確かに4つくらいにしておくのが分かり易いですよね。

 

AIと人間の感情解釈

喜怒哀楽は、AIと人間の最も大きな違いとなっている部分とも言えます。

AIは、そもそも怒ることも無いですし、楽しみたいという欲求もありません。

 

これは、AIが「分析」・「判断」・「実行」といった作業の繰り返しを行う思考だからです。

AIに自己欲求が芽生えない限り、ただ単調にプログラムに沿った作業を繰り返すだけですよね。

 

AIからすれば、人間の「喜怒哀楽」は、非効率な数値を生み出す要素です。

何故、人間がそのような感情に偏った行動をとるのか、理解不能という結論かもしれません。

 

AIによる感情理解は、「人間が怒った時に起こしやすい行動」等を統計化し、ミスやトラブルを招くパターンや確率をはじき出す、という道を辿りそうです。

 人の気持ちを想像するのとは違うアプローチで理解していくことになるので、本来の感情理解とは異なると思います。

 

そう考えると、人間の「喜怒哀楽」を形成している要素は、AIの苦手な部分にありそうです。

きっと、それは私達の本能とか、遺伝子に関係する「何か」です。

 

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感情の存在意義

皆さんは、「喜怒哀楽」が人間にとってどんな役割を果たしているか、考えたことがありますか?

そんな意味不明な事を考えているのは、私のような変人だけでしょうか。

 

例えば、「喜び」は何のために生まれた感情なのか。

また、「喜び」と「楽しみ」の違いは何なのか、といった事についてです。

 

私は、自分なりにですが、「喜怒哀楽」の4つの感情全てに結論を出しました。

そして、この答えが、人間が持つ喜怒哀楽の存在意義だと思っています。

 

個人的には、こんな事を考えるところから、思わぬヒントや気付きが得られることがあります。

皆さんに共感していただけるかは分かりませんが、参考までにご紹介しておきたいと思います。

 

喜びの存在意義

私の考えですが、「喜び」とは、本来は自分以外の人に対して抱く感情だったのではないでしょうか。

本来、自分の事に起きた事は、喜びというよりは「楽しい」に近い感情だったはずだと思うのです。

 言語を学ぶ上で「うれしいね」等と自分が感じるべき感情表現を教わるので、錯覚しているわけです。

 

たとえば、原始人レベルの人間が、何の教育も受けないで育ったとします。

そこに「良い事」が起こったら、もっと感情的な反応になると思います。

「オー!なんかすごく楽しい気分!いい気分!」という感じなのではないかと思うわけです。

 

かなりアホっぽさ全開ですが、教育を受けていないので、これくらい無邪気な気がしますよね。

更に、原始人が感じる「喜び」とは、仲間の出産であるとか、怪我や病気が治癒することだったと想像できます。

「楽しい」とはなんとなく意味が違う、人(仲間)の幸せに対する感情が「喜び」の起源だと思うのです。

 

そして、「喜び」の感情は、コミュニケーション能力の向上に繋がったと思います。

つまり、自然界や仲間同士で『敵をつくらないために必要な感情』だったのではないかと思うのです。

 

これは、現代でも通じている特徴だと思いませんか?

人の幸せを喜ぶような人は、皆に好かれて平和に暮らせますよね。

「喜び」は、平和に生きるために進化した、優れた能力なのではないでしょうか。

 

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怒りの存在意義

現代社会では、感情的に怒っても何一つ良い事なんてありませんよね

怒りが何のために存在しているのかを考えるのが、最も難しい気がします。

 

世界から怒りが無くなれば、確実に争いは減ります。

 それでも「怒り」の感情が人類から消えないままでいるのは、何か大事な意味があるのでしょう。

「自然界で生き残る(戦う)ために必要だから」という単純な結論ではなく、もっと深い意味があると思います。

 

私は、「怒り」の感情が存在する生物的な意味は、『恐怖を無くす効果』にあると思います。

怒りに我を忘れると、勝てるはずもない相手に対しても闘争本能が出せるからです。

 

怒りの裏には、「許せない」という本質的な心理があります。

この感情って、仲間を守りたいと思う優しさにも直結していると思うんですよね。

 

本来、動物は、家族を守る事や、秩序を守るために「許さない」と考え、闘うのだと思います。

悲しい状況を避けるため(平和のため)に「怒り」という感情があると考えると、納得がいくところが多い気がしませんか?

 

正しく怒ることによって、どんな相手にも恐怖を感じずに戦うことができます。

結果、正義感ある怒りが平和を取り戻すことに繋がるということだと思います。

 

この考え方において大事なのは、「怒りの強さ」についての解釈です。

自分の利己的な都合による「怒り」で戦う者と、正義や家族のための正しい「怒り」で戦う者の怒りは、どちらが強いでしょうか。

 

もっと具体的に言えば、「自分の思い通りにならない怒り」と「家族を殺された者の怒り」は、どちらが勝つのかという事です。

より正義に近い怒りが勝つべきですし、それが自然の摂理にも繋がるのではないでしょうか。

 

正しく強い信念に基づいて怒る者が最終的な強者になる』というのが自然の仕組なのではないかと思うのです。

これによって、群れの安全が保たれれば、自然界の秩序は乱れませんよね。

 

間違った理念に基づいた「怒り」が、一時代を支配することがあっても、より正しい平和理念を持つ者が更に強い怒りを持って襲ってくるようにできているのではないかと思うのです。

そして、本当の平和が何世代にも渡って続いた時、「怒り」は消滅(退化)し始めるのかもしれませんね。

 

哀しみの存在意義

動物の中で、涙を流して悲しむのは人間だけのように見えます。

実際には分かりませんが、一般的にはそう認識されていますよね。

 

自然界では、涙を流してクヨクヨしていても何も良いことはありません。

そんな時に敵に襲われれば、自分が死んでしまいますから、自然界ではマイナス効果しかない感情です。

では、何故、人間は哀しみを持ち、涙を流して落ち込むような能力を身に付けたのでしょうか。

 

サバイバルの状況下においては、泣いたくらいでは誰も助けてくれません。

悲しくても希望を見出して生きようとしなければ、自然界では死んでしまします。

 

かけがえの無い人を亡くした時などは、とても働くことができなくなる時期もあるでしょう。

それでも、なんとか生きる希望を見つけなければ、自分も死ぬしかない状況に追い込まれます。

 

そうゆう意味で、「哀」の感情は、負のストレスを吐き出し、希望を持つためのシステムなのかもしれません。

また、涙を流していても生きていけないという現実を突きつけられることで、自分の弱さを認識する機能もありそうです。

 

その他、涙を見せることで、仲間に今の気持ちを伝えることにも役立っていると感じます。

涙を流すことで、言葉にせずに深いコミュニケーションをとれる効果があるわけです。

 また、優しさを育む役割』もあるような気がしてなりません。

  

相手を思いやる感情は、とても高度な感情で、動物界には乏しい能力です。

このような高度な感情が芽生えるには、「哀」の感情進化が必要だったのではないかと思います。

ですから、人間の「優しさ」は、動物としての進化でもあり、平和実現能力の1つだと思えてきます。

 

楽しみの存在意義

人は、笑うと免疫力が向上することが確認されているそうです。

これは、遺伝子的に、「楽しさ」で自然治癒力が上がるようになっているという事です。

 

現代人も、音楽や行楽等によって免疫力を調整していることになりますね。

外敵からの緊張から解放されて、『免疫力を上げるために生まれた能力』なのだと思います。

 

自然界の動物には、「笑う」という観念はありませんが、もしかしたら感情的には存在しているのかもしれません。

動物達も、心の中では何かを楽しいと感じて免疫力を上げているのではないかと思います。

 

たのしい事ややりたい事に向かって真っすぐ生きる力は、最も情熱を生み、他の仲間の役に立つことにも繋がります。

それぞれの個体の使命を全うするために、「得意なことを楽しく感じる」という機能が与えられているような気もします。

 

「楽をする」というと、サボっているように聞こえますが、本来の意味は少し違う気がします。

つまり、「楽しい事をする」という意味で、怠けているという意味ではないと思うのです。

 

「楽をする」という言葉の本来の意味は、『楽しいと感じることに真剣に取り組む』という行動を表しているのではないでしょうか。

そして「楽」を行うことで、自分も仲間も幸せになるように出来ているのだと思います。

 

まとめ

私達の遺伝子の中に刻まれた本能的な部分には、喜怒哀楽に関する歴史が隠されていそうです。

たどり着いた答えが正しいかどうか証明することはできませんが、共感していただける方がいれば幸いです。

こうして感情の起源や存在意義を考えると、人間の進化と感情の重要性を再確認できますよね。

皆が優しく進化して、いつか「怒り」と「哀しみ」がこの世から消えるといいですね。

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